服地パイセン

生地にうるさい服屋で学んだことを活かし、洋服のわかりづらいことをわかりやすく解説します。

服の生地とアパレル産業の歴史について、わかりやすいものがなかったので、ざっくりとまとめてみました【50記事記念】

これからのアパレルを知るために

こんにちは。 服の生地についてのブログを書いています、服地パイセンです。


いつも僕のブログを読んでいただきありがとうございます。

今回で50記事目の投稿になります。ブログを開設したときに「50記事は書く!」というざっくりした目標を立てていたのですが、なんとか達成できました。

 

ブログを続けれているのも、皆様のおかげです。

いつもスターをつけてくださったり、はてなブックマーク、読者登録など皆様のリアクションが僕のモチベーションになり、継続できています。

 

ブログでも、料理でも、仕事でもなんでもそうだと思うんですが、誰かのリアクションが有るか無いかで今後のモチベーションが全然違いますよねぇ。ホントいつもありがとうございます。

 

今回は目標にしていた50記事目ということもあり「いつもより力の入った投稿をしよう」と決めていたので固めの内容、近代の生地やアパレルの歴史について書いてみようと思います。

 

というのも、未来のことを考えるには、過去のことを知らなければなりません

そしてまさに今、アパレルを含め価値観の変革期がきているように感じます。いや、確実に来ています。

 

これまで良いとされていたものが新しいものに淘汰され、またこれまで日の目を浴びなかったようなものが急に着目されたりと、価値観の変遷が起こります。もちろん服の世界も変化が起きています。

 

今のアパレル業界は「より機能的に、より快適にすごす」ための機能素材が注目されています。

 

それと同時に「ひとが大切にすべき倫理・良識を基準に作られたものでおしゃれを楽しむ」というエシカルな価値観の2つの軸があります。

 

そんな変化の世の中なので、頭の中を整理するためにも、近代の服地の変遷アパレル産業の変遷をざっくりとまとめてみました。

 

 

 

 

 

歴史とともに服は変化する

生地はその時代の文化を形成する重要な証拠品でもあり、少しずつの変化を続けています。

 

例えば1870年代の明治維新

着物文化だった日本に西欧の文化が入ってくることで、繊維産業の根幹は大きく変わったそうです。

具体的には、ジャカード織り染色技術の伝来が、これまでの日本の繊維産業に大きな影響を与えました。

 

もちろん当時は洋服を着ている人はほとんどいません。

日本で「洋服」という文化が行き渡ったのは、第二次世界大戦後の1950年頃のこと。

 

そして「アパレル産業」という言葉が使用され始めたのは1970年頃からだそうです。

 

このように1870年頃から1970年頃までの、100年間で想像を遥かに超えるような変化が起きました。

 

社会的な影響を受けて、文化とともに服地は変化していきます。

 

変化していく洋服の生地についての流れと、アパレル産業の流れを、戦後あたりからざっくり書いてみます。

 

【1940年代】繊維産業は大打撃を受けた戦後復興期

1940年代の日本の様子

引用:https://buzzap.jp/news/20160825-japan-after-ww2/

1945年8月、太平洋戦争が終わるまでは軍需産業が最優先。

繊維産業はそれによる打撃が深刻でした。

 

物資統制が行われ、日常生活に必要な物は極度に不足していました。

とにかく物がない時代です。

 

戦後の生活とは

第二次世界大戦中、労働力が軍需産業に注ぎ込まれたため、農作物などの生産も著しく低下しました。


米は配給制度になりましたが、十分な量ではありません。
米の変わりに、小麦粉を練って丸めたスイトンを主食にしていました。


それから自分の家の小さな庭に野菜などを植え、食用に。サツマイモは芋づるまで食べたそうです。

 

そんな状態なので当然、繊維の発展などは後回しの時代。

皆が今日を生きていくのに必死の状態でした。

 

【1950年代】繊維産業の再建とアパレル市場の形成

1950年代の日本の様子

引用:https://bunshun.jp/articles/-/41278?page=5

終戦後、綿製品の統制が廃止されます。

それにより一般消費者は「米」と「綿製品」を求めたそう。

 

朝鮮戦争が日本経済に大きな影響を与え、あらゆる市場が拡大し、輸出も年々伸びます。

特に繊維産業の再建と発展の基盤はこの時期に培われます

 

日本ではこの頃に洋服が一般化され、衣服の既成化が進みました。

 

 

アパレルが産業として形成され始める

この時代まで存在しなかった「アパレル産業」の基盤は、1950〜1970年代頃に形づくられました。

 

JIS企画、染めや織りなどの加工技術の効率化、百貨店によるアパレル市場の創造が、アパレル産業形成の主なポイントです。

加工技術や市場をつくるのが重要なのはなんとなく理解できますが、JIS規格がなぜ役立つのか、後ほど説明します。

 

アパレル産業形成の主な要因

①JIS規格の制定
②繊維製品の加工技術向上
③百貨店によるアパレル市場創造

 

東レがデュポン社とナイロン製造の提携を

後に大きな影響を与える事柄として、1951年に東レアメリカのデュポン社とナイロン製造の契約がされたことが挙げられます。

 

この頃まで化学繊維といえばレーヨンでしたが、「鉄よりも強く、絹よりも美しい」というナイロンの登場で、化学繊維時代の幕開けです。

 

しかし、今となっては当たり前の化学繊維ですが、それまでほとんどが天然繊維だったので当然消費者は拒絶。

化学繊維は消費者に受け入れられなかったようで、普及するにはかなりの時間がかかりました。

 

東レ帝人が合繊織物の品質保証を行い、消費者が安心して購入できるようにしたそうです。

 

【1960年代】化学繊維とカラーの時代

1960年代の日本の様子

引用:http://blog.livedoor.jp/zzcj/archives/51957895.html

  この年代はいわゆる高度成長期。

日本ではカラーテレビの放送が始まるなど、色彩が日常を彩りはじめます。

 

テキスタイルデザインの世界では1960年代は化学繊維の時代と言われています。

 

これまでの繊維素材は麻や綿、毛織物が主でしたが1960年代から科学工場で、石油から新しい繊維が作られるようになります。

それまでと異なる素材の誕生に伴い、テキスタイルデザインも大きく変化していきました。

 

炭素繊維の歴史と変遷について

炭素繊維で最初に開発されたレーヨン。

現在ではアロハシャツやトロ感のある生地以外ではあまり使われなくなってきています。

 

今はポリエステルやナイロンが主流です。

 

それは炭素繊維に求められる強度・弾性率などの力学特性を上げられなかったからです。

 

わかりやすく言うと、

レーヨンよりもっと強度の高い生地が作れたから、そっちの方が便利でいいよね

というわけ代替されていきました。

 

【1970年代】情報化時代と新しい波

1970年代の日本の街並み

引用:http://www.kotaro269.com/articles/61790.html

繊維産業が黄金の成熟期だった1960年代から一転して、1970年代は石油ショックにより低成長時代へと向かうのが1970年代です。

 

石油ショック円高不況、物価の急上昇、繊維産業の構造不況といった逆風のせいもあり、日本のテキスタイル産業は「量」から「質」への転換を余儀なくされました。

 

今では当たり前ですが、「ライフスタイルに基づくブランド展開」1970年代に形成されたようです。

例えばオンワード樫山がヤング層、アダルト層、シニア層などのターゲットに合わせたブランドを展開していきました。マルチブランド展開は、アパレル産業成立の一つの指標となります。

 

日本製が高品質と認められるようになった

今となっては日本の製品は「高品質」で世界中から認められていまが、この頃までは「安かろう悪かろう」でした。

 

戦前の日本の工業は小さな町工場による名人芸的な生産で、一定の品質の製品を大量生産する力がありませんでした

その結果、品質のばらつきが大きくなり、日本製すべてがダメだったのではなく、不良品が目立ったということなんですね。

これが、戦前に欧米で日本製品は低品質と言われた理由です。


これに対する反省から戦後、2つの政策を採用しました。

 

第一は、工業標準を整理してJIS(日本工業規格を制定したこと。

 

JISは輸出国家の名誉がかかっていたから厳しく、品質の揃った製品をつくる工場にお墨付きを与えました。


第二は貿易港に繊維製品検査所、工業品検査所を設置して低品質製品の輸出を差し止める措置をとったこと。


この2つの政策で、日本製品の品質は急速に向上しました。

 

そして日本製品の品質が向上したことが欧米ではっきり知れ渡ったのは1970年頃になります。

 

【1980年代】天然繊維の時代とエコロジー

1980年代の日本の建物

引用:https://www.lomography.jp/magazine/324807-colorful-vintage-tokyo-in-the-1980-s-jp

1980年代以降の消費者は、政治、経済、文化、芸術、スポーツにと、その知識の幅は広く、本格的なものを求める方向へ。

と同時に日本のアパレル産業が世界的水準へと発展を遂げた時代でもあります。

個人の感覚や感性のレベルも一段と高くなり「本物志向」へと走り出すのが1980年代です。

テキスタイルの分野でも、本物志向という意味から「天然繊維の時代と」へと向いていきます。

 

環境問題への意識が芽生える

二酸化炭素の排出量が増加し、地球規模で環境の悪化が明白になってきたのが1970、80年代です。

 

現在の「エシカル」や「環境への配慮」といった価値感は、この頃に形成され始めました。

 

大きな変化は、かたちになるまでにすごい時間がかかりますね。

 

【1990年代〜】コンピュータと価値感の高度化

近年は「物の豊かさを追求することよりも、自らを知的に鍛えて個性を表現することに価値を感じる」と言われています。

インターネットの普及であらゆる情報が手に入るようになったことが大きいでしょう。

 

そして近頃のファッション業界のキーワードは「自然に対する謙虚な態度」であり「自然との調和」です。

繊維産業も大量生産、大量消費という、規模の拡大から脱却し、資源と環境保全を念頭に入れながら商品企画をしなければならない時代になりました。

 

最後に

化学繊維が誕生してから目まぐるしく変化している繊維業界。

これからは「高齢化」「国際化」などに対処しながら、資源の再利用などの文野にも対応しなければならない時代となっています。

 

より快適に、より安全に、効率的にどんどん変化していくのでしょう。

 

これからの技術の進化が楽しみです。

 

 

1980年代に生まれた僕は、産まれる前のことや戦後のことは経験していないので正直わかりません。

人から聞いた話や、調べてわかった内容なので、もし間違いがあったら、ご指摘いただけますとありがたいです。

 

 

他にもアパレルのことについて買いた記事もあるのでよかったら読んでみてください。

www.fukujipaisen.com

 

www.fukujipaisen.com

 

 

 

感想などをコメントいただけるのが、何よりとても嬉しいです。

はじめましての方も、思ったことはお気軽にお書きください。

 

 

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