服地パイセン

服の生地について語ります

スニーカーの歴史を年代別にまとめてみました。

進化するスニーカー

 

こんにちは。
服の生地についてのブログを書いています、服地パイセンです。

 

運動やダイエットとして、ジョギングやランニングを日課にしている人は多いと思います。

 

ジョギングする男性


手軽にできる運動なので、昔から当たり前のように走ってたんだろうと思ってました。

でも実ランニング(ジョギング)が一般的に普及したのはけっこう最近のことだって知っていました?

 

街をランニングしていると、不審者扱いされて警察に呼び止められるような時代もあったそう。

ランニングの歴史は意外と浅く、街中を走ることが一般的でなかったので、不審な行動だったようです。

 

 

ちょっと不思議な感じがしますが、よく考えると今ほどスポーツへの関心が高い時代は前例がありません。

 

今回はマラソンをはじめ、スポーツと切っても切り離せない、スニーカーの歴史について記事にしていきます。

 

 

進化するスニーカー

1960年代まではランニングという文化はなかったそうです。

 

1966年に医学専門家によるテストによって健康に効果的であることが確かめられ、さらにスポーツ選手や有名人がランニングに取り組むようになると、一気に世間に浸透し、ランニングはスポーツのメインストリームに躍り出たというわけです。


1970年代に起きたランニングブームでNIKEなどのスポーツメーカーがこぞってランニング用のトレーングシューズやウェアを発売し、大躍進。

 

ファッションは常に文化とともに変化してきました。

 

もちろん足元もそうです。スポーツの進化とスニーカーは切り離せません。

 

つい最近までは、軽くて薄いランニングシューズが主流でしたが、厚底のランニングシューズが業界を激変させました。

 

2020年の箱根駅伝では210人中177人が「ズームX ヴェイパーフライ ネクスト%」を履いていたことで話題になりました。

 

スポーツとともに、足元も進化しています。
そんなスニーカーを時代とともに見ていこうと思います。

 

1950年代のスニーカー

1950年代までのスニーカーで、真っ先に思い浮かぶのがコンバースオールスターや、ジャックパーセルなど。 

コンバースオールスターの1950年代ヴィンテージ

出典:CONVERS

それぞれの誕生はオールスターが1917年で、ジャックパーセルが1935年のことで、共通するキーワードは「競技用」だということ。

 

スニーカーという名称は英語の「sneak(忍び歩く者)からきていて、ゴムの靴底が足音を立てにくいことからつけられた。その期限をたどると、ブラジル人が素足にゴムの樹脂をつけ、乾燥させていたという説や、1832年アメリカのウェイト・ウェイブスターが底にゴムを貼った靴の特許をとったことが始まりなど、色々な説があります。

しかし、スニーカーがスポーツと最初に結びついたのは1886年アテネオリンピックからだといわれ、それから約半世紀の間は主にスポーツ競技用という枠の中だけで発展を続けてきた。

 

それがコートの外、ストリートに飛び出したのは1960年代以降になります。

 

1960年代のスニーカー

 

それまで競技用だったスポーツシューズが、カジュアルで履かれるようになったのが1960年代です。

 

当時のアメリカでは「西のコンバースに東のケッズ」といわれていて、それはブランドの勢力図を意味していました。

 

コンバースはキャンバスのオールスターOXが、カリフォルニアを中心とした西海岸のビーチボーイズたちに支持されていました。

そして一方のケッズはロイヤルがアメリカ東側のアイビーリーグの学生たちからの人気を集めました。

 

PROKEDSのカタログ

出典:OTOKOMAE

それから少し後のことになりますが、日本でこれらを手にいれるためには、アメ横や神戸の高架下を探し回るしかなかったとか。

 

当時高いと言われていたVANのスニーカーが980円だった時代に、ケッズはなんと6800円。リーガルのペニーローファーと同じ値段。

この話だけでも格調高さが伝わります。

これらは日本ではアイビースタイルにあわせて履かれていました。

 

1970年代のスニーカー

1970年代はスニーカーのイケイケ時代

スニーカーが一部のオシャレな人のものから一般に広まった時代です。

そこまでスニーカーを普及させたのは、アメリカ西海岸で起こったジョギングブームです。

 

70年代のランニングブーム

 

各ブランドは爆発的な売れ行きとともに多くの名品を輩出しました。

アディダスSL72SL76ナイキコルテッツワッフルトレーナーコンバーススターファイヤーワールドクラストレーナーなど。

それらをいち早く日本に紹介していたのが、「POPEYE」です。

そこにはアメリカの文化やファッションがリアルに、事細かく紹介され、日本のスニーカーブームに火をつけました。

 

1980年代のスニーカー

 

1980年代はハイテクスニーカーの時代

それまでのスニーカーはランニング界においては軽量化、バスケットボール界においてはフィット感と耐久性といった、アッパーを重視した開発が行われてきました。

例えばコンバースのオールスターは時代とともに、アッパーをキャンバスからスエード、レザーと進化させながらもそれまでのスタイルを守り続けていた。

しかし1980年代になると状況は一変。ナイキはエアシステムを実用化、他社もハイテク機能を競い合うバトルに突入しました。

特にバスケットボールシューズは次々とハイテク機能を生み出しました。しかもその機能に合わせた個性的なデザインやカラーリングが生まれ、デザイン本位で作ったモデルまで登場するようになります。

ナイキ、リーボックアディダス、フィラ、コンバースなどは最新の機能とデザインを主張し合いました。

スニーカーが主役に躍り出た、まさにスニーカー前世の時代です。

 

最後に

ざっくりとまとめましたが、なんとなく時代の流れは掴めていると思います。

たかがスニーカー、されどスニーカー。

語れる一足に出会うきっかけになれば嬉しいです。

 

 

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